エウレカセブンって名言多いですよね。そういう意味でデューイさん最高!
貴方は、汝の隣人を愛せよという言葉を知っているか。我々人類に伝わる、最古の書物に書かれていた言葉だ。しかし何故その言葉が、人類最古の書物に書かれていたと思う。それは、人がその言葉無くして、互いを生かしておくことができないからだ。 byデューイ/#35「 #eurekaseven
— エウレカセブン@名シーンbot (@Eureka_seven012) 2017年3月6日
言葉の存在
そもそも「悪」とは行為に結び付けられる言葉なんですよね?
にもかかわらず「悪人」という言葉があるのはなぜなのでしょうか?
言葉の存在意義は無視できません。
とはいえ、あまりに意見がまとまっていない段階でブログ書きます。結構重要な問題にもかかわらず、あまり考察されていないので、まずはその一歩になればと…
議論の前提
議論がややこしくなりそうなので
「悪事」=悪い行為
「悪人」=悪い人
という定義のもと「悪」という言葉は使わず議論したいと思います。
なぜ「悪人」という言葉が生まれたのか?
個人的には
- 行為そのものの善悪(善事・悪事)の判断は手間がかかるので、悪事を簡便な方法である程度の正しさで判断したいから
が、その答えだと思っています。
証明?
悪事の認定が難しいのは、起こった現象論を正しく言語化できないからだと思います。
その関連として、
- 「見た目の良しあしで、悪事に対する判断が変わるという心理学実験」(いまソース忘れました。わかったら、もしくはご存知の方がいれば)
- 「記憶の心理学」(またソースなしですが…)そもそも人は見たものをうまく言語化できませんし、簡単に塗り替えられますし。言語化されるともう少し固着できると思います。
というところが挙げられると思っています。
悪事を簡便に判断する方法として、ある人が悪いことをする確率はiid (independent and identically distributed) だとみなし、その確率を推定しその確率が高ければ「悪人」と認定する。そのために、何回か善事・悪意を判断して確率を推論するという話なんだと思います。
確率論と現実
iidの仮定はひどいですよね。つまり、善事か悪事かは完全にランダムで選ぶということです。そんなのないでしょう。
悪事と悪人の脆弱性
悪事は狙ってする場合があります。このギャップを個人的には「悪事と悪人の脆弱性」と呼びたいと思っています。
なぜ詐欺師が怖いかというと、彼らは悪事と悪人の脆弱性をついているんだと思います。つまり、十分な時間をかけて善人と思わせて、狙って悪事をする。でもその1つの悪事で十分に元が取れる。
悪事と悪人の脆弱性の別の側面:「悪人」ラベル
悪人認定のやばさは、ラベリング理論、すなわち、悪人だから悪人だと思うのか、悪人だと思ったから悪人になったか、順序関係の問題はあると思います。
まとめ
頑張って「悪人」ではなく「悪事」を判断するようにした方がいいんでしょうけどねぇ。良くなるためとはいえ苦労は嫌ですもんねー。
P.S. あまりデューイさんの名言が生かせていないので、生かすのはまたの機会に。