悪:悪人と悪事

エウレカセブンって名言多いですよね。そういう意味でデューイさん最高!

 

言葉の存在

そもそも「悪」とは行為に結び付けられる言葉なんですよね?

にもかかわらず「悪人」という言葉があるのはなぜなのでしょうか?

言葉の存在意義は無視できません。

 

dictionary.goo.ne.jp

とはいえ、あまりに意見がまとまっていない段階でブログ書きます。結構重要な問題にもかかわらず、あまり考察されていないので、まずはその一歩になればと…

 

議論の前提

議論がややこしくなりそうなので

「悪事」=悪い行為

「悪人」=悪い人

という定義のもと「悪」という言葉は使わず議論したいと思います。

 

なぜ「悪人」という言葉が生まれたのか?

個人的には

  • 行為そのものの善悪(善事・悪事)の判断は手間がかかるので、悪事を簡便な方法である程度の正しさで判断したいから

が、その答えだと思っています。

 

証明?

悪事の認定が難しいのは、起こった現象論を正しく言語化できないからだと思います。

その関連として、

  • 「見た目の良しあしで、悪事に対する判断が変わるという心理学実験」(いまソース忘れました。わかったら、もしくはご存知の方がいれば)
  • 「記憶の心理学」(またソースなしですが…)そもそも人は見たものをうまく言語化できませんし、簡単に塗り替えられますし。言語化されるともう少し固着できると思います。

というところが挙げられると思っています。

悪事を簡便に判断する方法として、ある人が悪いことをする確率はiid (independent and identically distributed) だとみなし、その確率を推定しその確率が高ければ「悪人」と認定する。そのために、何回か善事・悪意を判断して確率を推論するという話なんだと思います。

 

独立同分布 - Wikipedia

 

確率論と現実

iidの仮定はひどいですよね。つまり、善事か悪事かは完全にランダムで選ぶということです。そんなのないでしょう。

 

悪事と悪人の脆弱性

悪事は狙ってする場合があります。このギャップを個人的には「悪事と悪人の脆弱性」と呼びたいと思っています。

なぜ詐欺師が怖いかというと、彼らは悪事と悪人の脆弱性をついているんだと思います。つまり、十分な時間をかけて善人と思わせて、狙って悪事をする。でもその1つの悪事で十分に元が取れる。

 

悪事と悪人の脆弱性の別の側面:「悪人」ラベル

悪人認定のやばさは、ラベリング理論、すなわち、悪人だから悪人だと思うのか、悪人だと思ったから悪人になったか、順序関係の問題はあると思います。

ラベリング理論 - Wikipedia

 

まとめ

頑張って「悪人」ではなく「悪事」を判断するようにした方がいいんでしょうけどねぇ。良くなるためとはいえ苦労は嫌ですもんねー。

 

P.S. あまりデューイさんの名言が生かせていないので、生かすのはまたの機会に。