世紀末覇王と言えば、テイエムオペラオーではなくラオウな私です。さて、ラオウはラオウなりの美学、暴力で支配するけれども、自身も暴力で支配されることは容認する、といったある意味双方向性を認めていることがよかったと思う。ただ最近は、自分は悪いことする、でもそれと同じことを自分にされると法に逃げる、みたいな輩が増えたかなと。悪というより下衆とかカスばっかりが増えてるのがなんか残念。いい悪いは置いておくとして、なんかそういう美学ってものはないのかな…。
法治国家における「法を守る」とは?
東大五月祭の言論封殺(?)が話題になっていますが、表現の自由は言うほど自由ではないと思うし、表現の自由外にある表現(?)をするからといって直ちに暴力による言論封殺が許されるとは思わない。ある程度、表現の自由外にある表現に関して定義なりガイドラインを決めてもらいたい。
ところで、
1. 外国人は帰れ ← これは完全にアウト
2. 違法外国人は帰れ ← これはどうなんだろう?
ではこれをダメだとすると次の表現はどうだろうか?
3. 違法外国人に法を適正に執行せよ
内容的に2と3は実はそんなに言っていることは変わらないが果たして…
ではこれがアウトだとすると
4. 法を守れ
はアウトか否か?コンテキストによってはアウトにされるということですよね?
確かに、実質的法治主義においては4はコンテキストいかんによってはアウトと言われる。結構思ったよりも、身近なところに法治国家にいて「法を守れ」ということを言論封殺されうる環境ってあるんだな。
PS. そもそも基本的人権とは何ぞやという定義の問題なのかな。世の中は氷河期世代を蹂躙・虐殺したくせにw
望ましいのは?
インターネットに流れる情報がすべて嘘、事実に基づかないわけではないと思える。マスコミが本当にインターネットそこまでダメというなら、流れている情報はすべて嘘と証明するのも手だと思う。(まあ悪魔の証明なのでほぼ無理でしょうが。)
で、結局ジャニーズ事件は大手顧客のためにはマスコミも嘘をつくというわけで、マスコミの言うことすべてが事実とは限らないという事実。
そのうえで、インターネットがあることで、
1.世の中に流れる事実の総量は増える
2.True positive、つまり実際に流れている事柄に対する事実の割合は減っている(これも本当かどうかはわからない、まあとはいえそこはマスコミの言うことを信じましょう)
ということでしょうか?インターネットの是非はどこにあるのかな?
「報道しない自由」みたいなことを言われだすと事実の総量が増える(ある意味マスコミが報じない事実というのは事実が明らかになったこと以上の価値がある)ほうが、トータルとみて価値があるのでしょうかね。まあ、そこそこにエフォートを割かされるのはかなんなぁというところはありますが…。まあわたしゃ、インターネット肯定派ですけどね。エフォート割きますw
PS. 日本語の本来の意味通り?、事実=実際に起こったこと、という意味ですです。厳密には正しくないが、事実=本当の真実という意味で読むと理解しやすいかも。
無宗教?
よく、日本人は無宗教といわれる。そもそも宗教の定義とは、からスタートする話題ではある。ただ、個人としては、
- 無宗教なんだと思わされたところからスタートして、
- 宗教ってなんだと意識するようになって、
- アニミズムです、
と20年前くらいから言うようになった。無宗教とは、無理やりそう思い込まされていたものなのかな…。そもそも論として、いただきます。ごちそうさま。もったいない、こんな言葉を持つ特殊な民族が無宗教なんてあり得るのか?
PS. そもそもあなたの宗教はという問いかけにアニミズムで納得してもらえるのだろうか。してもらえなくても、そうとしか言えんが…。その場合、アニミズム2.0とか言えばよい?
PS2. とはいえ墓参りとか仏教の香りを意識するんだよなー
PS3. おそまつさま、っていうのもなんかすげー言葉だな。
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以下、エウレカセブンより
「あなたは『汝の隣人を愛せよ』という言葉を知っているか?」
「我々人類に伝わる最古の書物に書かれていた言葉だ。しかし、何故その言葉が人類最古の書物に書かれていたと思う?それは、人がその言葉なくして互いを生かしておくことが出来ないからだ。何とも情けない存在だな、人というのは」
ちょっと焦点はずれるかもしれないが、言葉を発する意図というものを感じる。すべての人間が隣人を愛していることが普通であれば、その言葉を発することに意味はなく、愛していないからこそ、この言葉に意味はある。
何かしらきれいな言葉を掲げる存在がいれば、その存在はその言葉を掲げないと自身のきれいさを証明できないからその言葉(Aとする。たとえば平和とか入れてください)を使うのだと、僕は人生のなかで学んだ。そもそも、その存在がAという言葉なくしてAを体現できる存在であれば、Aという言葉に意味はないのだ。
PS 完全とは言えないがこういう感覚があれば少なくともサイコパスに対抗できる?
選挙とのかかわり方
鉄血のオルフェンズのオルガのセリフ「仲間でもなんでもねー奴に、訳のわからねぇ命令で、仲間が無駄死にさせられるのはごめんだ。」は、氷河期世代の人間としては、上の世代を仲間とはちょっと思わないし、(年寄り票強かったし)本当に無駄死にさせられるのはごめんだと思う。そのうえで、自分たちがこれからを生きていく若者にこんなセリフを言わせるのはごめんだ。クワトロバジーナのセリフではないが「新しい時代を作るのは老人ではない!」というセリフに従い、どこかで選挙人としての政治からのかかわり方は降りるべきなのかなぁ、と思う今日この頃。もちろん別のかかわり方はあると思います!
PS. これ言っていいのかわからないけれど、世の中の資産の7割を支配する老人3割に社会保障費を食いつぶされるのってどうなん?本当に誰が借金こしらえてるの?そこのところは把握されているのか?といいながら社会保障費の内訳を正確に調べたわけではないが…。でも使用者って大体想像がつく…。青年ぐらいになると自力で何とかするから、あまり頼らないからなぁ。