法学と憲法24条

私はあまり日本の法学者というものを信用しておりません。その理由は、法学と憲法24条にあります。

まず、日本は実質的法治主義というもので動いていると思っています。(僕は形式的法治主義が好きですが、そこは置いておきます。)つまり基本的人権とかそういうものに合致していない法の扱いを考えるべきだと。ただ、それを言い出すと、そもそも法とはなんぞや、という言うことになる、誰が人権や正義を決めるのか、それが司法だけで決めてしまっては、そもそも三権分立に違反する、司法が独裁してしまう…。で、それも法学はわかっているから、形式的法治主義は必要最小限の適用しか認めないということだと思っています。

で、今の日本の現状。

個人的には、同性婚はかなり最近になって出てきた概念だし、数十年も前の憲法が対応できないものなので、形式的法治主義をもって、憲法24条を考えようという考えはわかる。そのうえで、形式的法治主義は日常的にふるまう手段ではないので、そのおおもとの解消、つまり憲法改正を考える(両性→両者)のが次の正しいステップであると思う。しかし、頑張って憲法改正しようとしたけれども、ハードルが高すぎてできなかった、でも、まあこれは現代風の性という風に考えましょうというプロセスを経てくれるのならば、なるほど法学のプロセスと一致するなと納得できる。

で、現状の法学者はどうよ。

両性というのはそういう定義じゃないと言葉遊びから始まって、それがダメだったら基本的人権をもって憲法24条1項を無視しにかかった、それはいい、でも憲法改正を訴えるわけでもなく、(むしろ憲法9条があるからなぁ。)形式的法治主義という最後の手段を日常茶飯事で使っている。これが法学ですか?

PS 学問のくせに個人の思想信条に引きずられすぎ。天動説でも唱える気ですか?

世紀末覇王と言えば?

世紀末覇王と言えば、テイエムオペラオーではなくラオウな私です。さて、ラオウはラオウなりの美学、暴力で支配するけれども、自身も暴力で支配されることは容認する、といったある意味双方向性を認めていることがよかったと思う。ただ最近は、自分は悪いことする、でもそれと同じことを自分にされると法に逃げる、みたいな輩が増えたかなと。悪というより下衆とかカスばっかりが増えてるのがなんか残念。いい悪いは置いておくとして、なんかそういう美学ってものはないのかな…。

法治国家における「法を守る」とは?

www.yomiuri.co.jp

東大五月祭の言論封殺(?)が話題になっていますが、表現の自由は言うほど自由ではないと思うし、表現の自由外にある表現(?)をするからといって直ちに暴力による言論封殺が許されるとは思わない。ある程度、表現の自由外にある表現に関して定義なりガイドラインを決めてもらいたい。

ところで、

1. 外国人は帰れ ← これは完全にアウト

2. 違法外国人は帰れ ← これはどうなんだろう?

ではこれをダメだとすると次の表現はどうだろうか?

3. 違法外国人に法を適正に執行せよ

内容的に2と3は実はそんなに言っていることは変わらないが果たして…

ではこれがアウトだとすると

4. 法を守れ

はアウトか否か?コンテキストによってはアウトにされるということですよね?

確かに、実質的法治主義においては4はコンテキストいかんによってはアウトと言われる。結構思ったよりも、身近なところに法治国家にいて「法を守れ」ということを言論封殺されうる環境ってあるんだな。

 

PS. そもそも基本的人権とは何ぞやという定義の問題なのかな。世の中は氷河期世代を蹂躙・虐殺したくせにw

望ましいのは?

インターネットに流れる情報がすべて嘘、事実に基づかないわけではないと思える。マスコミが本当にインターネットそこまでダメというなら、流れている情報はすべて嘘と証明するのも手だと思う。(まあ悪魔の証明なのでほぼ無理でしょうが。)

で、結局ジャニーズ事件は大手顧客のためにはマスコミも嘘をつくというわけで、マスコミの言うことすべてが事実とは限らないという事実。

そのうえで、インターネットがあることで、

1.世の中に流れる事実の総量は増える

2.True positive、つまり実際に流れている事柄に対する事実の割合は減っている(これも本当かどうかはわからない、まあとはいえそこはマスコミの言うことを信じましょう)

ということでしょうか?インターネットの是非はどこにあるのかな?

「報道しない自由」みたいなことを言われだすと事実の総量が増える(ある意味マスコミが報じない事実というのは事実が明らかになったこと以上の価値がある)ほうが、トータルとみて価値があるのでしょうかね。まあ、そこそこにエフォートを割かされるのはかなんなぁというところはありますが…。まあわたしゃ、インターネット肯定派ですけどね。エフォート割きますw

 

PS. 日本語の本来の意味通り?、事実=実際に起こったこと、という意味ですです。厳密には正しくないが、事実=本当の真実という意味で読むと理解しやすいかも。

無宗教?

よく、日本人は無宗教といわれる。そもそも宗教の定義とは、からスタートする話題ではある。ただ、個人としては、

  1. 無宗教なんだと思わされたところからスタートして、
  2. 宗教ってなんだと意識するようになって、
  3. アニミズムです、

と20年前くらいから言うようになった。無宗教とは、無理やりそう思い込まされていたものなのかな…。そもそも論として、いただきます。ごちそうさま。もったいない、こんな言葉を持つ特殊な民族が無宗教なんてあり得るのか?

PS. そもそもあなたの宗教はという問いかけにアニミズムで納得してもらえるのだろうか。してもらえなくても、そうとしか言えんが…。その場合、アニミズム2.0とか言えばよい?

PS2. とはいえ墓参りとか仏教の香りを意識するんだよなー

PS3. おそまつさま、っていうのもなんかすげー言葉だな。

以下、エウレカセブンより

「あなたは『汝の隣人を愛せよ』という言葉を知っているか?」
「我々人類に伝わる最古の書物に書かれていた言葉だ。しかし、何故その言葉が人類最古の書物に書かれていたと思う?それは、人がその言葉なくして互いを生かしておくことが出来ないからだ。何とも情けない存在だな、人というのは」

ちょっと焦点はずれるかもしれないが、言葉を発する意図というものを感じる。すべての人間が隣人を愛していることが普通であれば、その言葉を発することに意味はなく、愛していないからこそ、この言葉に意味はある。

何かしらきれいな言葉を掲げる存在がいれば、その存在はその言葉を掲げないと自身のきれいさを証明できないからその言葉(Aとする。たとえば平和とか入れてください)を使うのだと、僕は人生のなかで学んだ。そもそも、その存在がAという言葉なくしてAを体現できる存在であれば、Aという言葉に意味はないのだ。

PS 完全とは言えないがこういう感覚があれば少なくともサイコパスに対抗できる?

ニュータイプ

人類すべてをニュータイプにして世の中を良い方向に導くというのは一つのガンダムサーガではあるのだが、それと近しいことを、人類すべてをアニミズムにすればできたりしないかな?少なくとも宗教のいざこざはなくせるし、自然に対する立ち居振る舞いをいい方向にできるしなぁ。

PS カーボンニュートラルって掲げるとCO2を見えなくすればいいんじゃんみたい(埋め込んで消しちまえ見たいなね)な○○がでてくるのは、アニミズムを理解しないからじゃないかと思う。本質じゃない。